La Pedrera

Xemeneies del terrat de La Pedrera

建設年

1906年 -1912年

住所

Provença, 261 - 265, Barcelona

https://www.lapedrera.com

登録

20世紀初期、バルセロナのアシャンプラに建設した2軒の住居用建築物の成功で、建築家ガウディには、新たな仕事の発注が来るようになり、バルセロナの由緒ある家族出身、非常に裕福なペラ・ミラが新たに注文主となりました。ミラは、レウスの若くて裕福な未亡人であるロザリオ・セジモン夫人と結婚し、結婚式の1年後、ガウディに、当時の都市生活の中心、バルセロナ新市街の背骨とも言えるパセオ・デ・グラシア通りに、自らの住居と賃貸用の共同住宅の建設を依頼しました。

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ミラ氏-セジモン婦人夫妻の住宅 

ガウディは非常に柔軟に部屋の配置ができる柱を基礎とした構造、広々として衛生的で換気の効いた明るい一階ロビーや中庭からそれぞれの階に自由に行けるエレベーターなど、顧客の意思をすべてに反映させたプロジェクトを提案し設計しました。 この建物は、豊かで華麗なアシャンプラの家々の中でも、新奇性が際立っていました。建物は出入口が異なり、互いに行き来のできる中庭の周りを囲む2つの集合住宅のブロックで構成されています。

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建設中のカサ・ミラ。 1910年。©CátedraGaudí-ETSAB-UPC。建築業者Fondo Josep Bayó

個性的なファサード、独特な構造 

この新しい構造概念が印象的な石造りのファサードに明確に表れています。これこそが、通称「ラ・ペドレラ」(カタルーニャ語で採石場)と呼ばれる所以です。家屋の構造は伝統的なものとは大きく異なり、ファサードの構図は非常に自由で、窓、バルコニー、出窓が合わさって、昼の間は太陽の動きに合わせて、異なった形を見せます。

反抗精神に富んだガウディは、その半世紀前にイルデフォン・セルダが、バルセロナの新地域アイシャンプラの街に与えた特徴的な角の面取りの形状を溶解させました。それに飽き足らず、太い柱を歩道に進出させ、規制によって許容される高さをはるかに超えて、260個の広がるアーチとレンガづくりの素晴らしい出窓をつくりました。最上部に壮大な屋根を支えるこの建築物は、世界に類のない人工的な景観を造りあげました。

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屋根、最大の創造性 

屋根は、同時代の建築様式とは関係なく、強い芸術性を持つ奇妙な形態が溢れています。ファサードの形とリズムが続き、波状の 曲がりくねった形状の屋根に、階段、換気塔、煙突などが設置されています。その象徴的でダイナミックな形状は、それぞれのものが果たす役割に応じた自由な解釈で創られており、その中にはセラミック、石、大理石、ガラスの破片で飾られたものもあります。

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画期的で未来志向のファサード 

3つの部分から成るメインファサードは、輝く美しさで見る人を飽きさせません。ガウディは、構造的には役割のない石の壁を設計しました。これは、エーリヒ・メンデルゾーンらの作品のような、その後の中央ヨーロッパの建築様式を先取りしたものでした。メインファサードより明らかに面積の小さい後部ファサードには、同様な形式の自由を持って構成されていますが、より控えめな材料と技術が使用されています。

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総合的建築作品

この作品では、ガウディは若い建築家ジョセップ・マリア・ジュールを信頼して仕事を進めました。ジュールはバトリョ邸の建築にも協力しており、その仕事に満足していたガウディはグエル公園とマヨルカ大聖堂改築にも協力を求めました。

カサ・ミラは、機能と建設の計画時から、作品の隅々に至るまで、前衛的で先駆的な表現が詰まっている「総合的建築」の一例です。バルセロナのムデルニスマ作品の多くがそうであるように、建築としては何も変わりない、従来の建物に「アールヌーボー」という飾りをつけたものと異なります。32個のバルコニーの錬鉄製手すり彫刻のようで、内部の天井の波状模様それまでには想像もできなかった柔らかな肌を持つ石の総合建築作品になっています。

総合的建築とはすべてを包括する空間概念です。例えば、カサ・ミラのパティオには、

アイシャンプラの他の家にある伝統的な中庭が、建築を空間的に表現する円形と楕円形の2つの大きなパティオ置き換えられいます。

訪問者は、建物に入ってから屋根に上がるまで、16軒のアパートメントへの照明と換気を向上させているこの中庭を通ります。パティオのファサードは、どれも素晴らしい形、光、

で、壁の装飾の花の色に魅了されます。花のモチーフは、天井や

2つの玄関ホールの側壁、メイン階段にもあり、

神話のさまざまな場面を表しています。

ラ・ペドレラ 嘲笑された後に認識される 

 オーナーのセジモンは、彼女の二番目の夫(ペリコ・ミラ)が選んだ建築家ガウディの神髄を理解できず、この作品を評価していませんでした。ミラの目的は、バルセロナで最高の住宅を建設することで、ガウディはそれを完璧に成就しました。オーナーの住む1階の敷地面積は、各階にあるそれぞれが十分に広いアパートメント4軒分の広さでした。

当時、カサ・ミラは理解されず風刺的な新聞嘲笑する記事を書きました。カサ・ミラはガウディの最後の個人注文主による建築物でした。1912年に完成後、建築費の額について訴訟が起こされましたが、最終的に、裁判ではガウディが勝利しました。

1962年にバルセロナの芸術遺産のカタログに掲載された時点で、やっと、その独特さと崇高さ、芸術的価値が広く認識されました。1969年には、スペイン政府の国に益する歴史的芸術碑の宣言を受けた後、 現在ではBCIN(国益文化財)となり、1984年に - ユネスコがそのユニークさと普遍的な価値を認め、世界文化遺産登録されました。

現在は、ラ・ペドレラ・カタルーニャ協会が所有しており、宣伝、維持、保全を担当しています。 カサ・ミラは博物館的な役割だけけなく、様々な活動の拠点として、また公共の場としても、バルセロナの重要な文化的中心地になっています。

開館時間

11月~2月:9時~21時

3月~10月: 9時~23時 .

 

閉館日: 12月25日、1月中に1週間メンテナンス作業のため閉館

(日程はこちらでご確認ください).

 

アクセス

市バス: 7番、 16番、 17番、 22番、 24番、 V17番.

地下鉄: L3 / L5 – Diagonal駅.

FGC: Provença-La Pedrera駅.

RENFE: Passeig de Gràcia駅.

 

観光用交通機関

バス・ツーリスティック: ティビダボ 青ルート

バルセロナ・シティー・ツアー: ティビダボ 東ルート

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